何もせずに『ぼんやり』することの難しさとつらさ

最近読んだ新聞の記事。

新型コロナウイルスの感染拡大による自粛要請により、今まで感じたことの無かった人間の性のようなものがあらわになってきているという記事だった。

その記事によれば人間の生活に欠かせない『衣食住』以外の物やコトで世界の多くは潤い、回っているという事実。本来であれば着る物、食べる物があり、雨風をしのげる住み家があれば十分なもの。

しかし悲しいことにそれだけでは人間というものは『暇』を持て余してしまうらしい。そこでその暇をつぶすための娯楽が生まれたということ。

例えば、
・最高出力を発揮することないスポーツカー
・ブランド物の服やアクセサリー
・美味しい食べ物
・夜の歓楽街での享楽的な遊び
・旧モデルと機能がそれほど変わらない新型スマートフォン
・国内外を問わない旅行

等々の生活必需品の消費とは違う、暇を持て余した人間が行う物やコトの消費で世界が成り立っていることを、今回の新型コロナウイルスの感染拡大による自粛で皆が気付かされたと思う。

自分もそうなのだけど、何もせずに『ぼんやり』と時を過ごすのが非常に難しいと感じる。それはどうしてなのかと考えてみると、『ぼんやり』とひとり静かに過ごしていれば、否応なしに『自分自身と向き合う』ことを強いられてしまうからだと気付く。

ぼんやりとしていると、過去の楽しかった事、つらかった事、現在目の前にある問題、未来に対する希望や不安等々に真剣に向き合わなければならなくなる。それは時に楽しい作業でもあり、時につらい作業でもあり、それから目をそらすために人々は娯楽を求め、つらい現実から逃げようとしているだけではないのかととも思う。

自粛生活でのストレスはそのような、『嫌でも自分と向き合わなければならない現実』のつらさから来るものも少なくないと思うのだ。

新型コロナウイルスの感染拡大による自粛により会社がお休みになった方も多いと思う。ただ、こんな時だからこそ自分と向き合う時間を大切にし、現在のそして未来の人生がより良きものになるよう、しっかりと思考を固めていける貴重な時間だと私は思っている。

新型コロナウイルスの感染拡大が収束すれば再び娯楽を存分に楽しめるよう、今は自分としっかりと向き合う時なんだと考え、日々を過ごすというのはどうだろうかと思う今日この頃だ。

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