2022年も自由になりたいという妄想が止まらない

2022年も引き続きこんな妄想をしながら何とか乗り越えたいと思っている私。こんな生活がしてみたいという願望というか欲望を少し書いてみたいと思います。

こんな怠惰な生活は人間社会において許さないことだと非難されそうとは思いつつ、何だか最近は疲れてしまい、下記のような妄想が止まりません。

しがないサラリーマンの戯れ言だと思って読んでもらえたらさいわいです。

内容の無い記事なので、お時間のある方だけどうぞ・・・。

仕事をやめてしまったある日の1日(妄想ですが・・・)

・目覚まし時計に起こされない朝を迎える(いつものように少し早く目覚めるが、強制的に起こされることのない喜び)

・ゆっくりと起きたらまずはコーヒータイム。気分に応じて緑茶や紅茶でも

・パソコンの画面に映る渋谷スクランブル交差点の様子を見ながらゆったりする(今も休日の朝にボンヤリと見るのが好き)

・朝食は何にしようか。時間に追われることのない朝食タイムに想いを馳せつつ、スクランブル交差点の様子を見る

・朝食の後は読書タイム。昨夜眠たくなるまで読んでいた続きが気になる。読書は良い、家に居ながらにして異世界を旅しているような気持ちになる

・読書に夢中になっているうちに早くもお昼が近い。朝は軽くトーストとバナナといった内容だったが、特に動いていないのでお腹は空いていない。お昼は少し遅らせ、このままもう少し読書を続けようかと思う。

・午後1時を回った頃に少し小腹が空く。お昼は昨日の残り物で軽く済ませ、腹ごなしに散歩に行くことにする。昨日は山の方へ散歩に行ったので、今日は気分を変えて海の方へ歩いていくことにしよう。

・小春日和の海辺はキラキラしていた。平日にもかかわらず釣りをしている人がそれなりにいる。仕事をしていたサラリーマン時代であれば「こんな平日の昼間から釣りができるなんて結構なご身分だよな・・・」と毒づくところだが、いざ自分がそのような立場になってみると、何とも思わないどころか同士がそれなりにいると感じ、嬉しくなってしまう。「これが立場変われば何とやら、ということなのかな」と、独り言ちつつ海を横目に歩く。

・帰宅後、小春日和とは言え日射しの中を1時間程度あるいたからだろうか、程よい疲労感と共に眠気が差してきた。今から昼寝をしても夕飯まではまだまだ時間がある。いつでも好きに昼寝ができる歓びを噛みしめつつ、ゴロリとベッドに横になり、夢の世界へ。

・起きると既に夕暮れを通り越し、外は薄暗くなっている。台所から妻が料理をする音が聞こえてくる。今日の晩ごはんは何だろうと思いつつ、ぼんやりとベッドに腰掛け、頭が冴えてくるのを待つ。

・晩ごはんはシチューだった。妻とたわいのない話をしたり、録画していたテレビ番組を見ながらゆっくりと食事をし、食器洗い担当の私が食器を洗い終えた頃には午後8時を過ぎていた。

・仕事をしていたサラリーマン時代であれば、この時間帯からはお風呂に入ったりして寝るための準備というか、明日の仕事に備えての休息モードに入らなけばならないが、明日も何も予定が無い生活はそんなことは考えなくてもよい。

・午後8時を過ぎても完全に自分時間のため、パソコンで動画を見たり、本を読んだり、何か細かい作業をしたりと自由に過ごす。大好きなカフェミュージックを聴きながら夫婦それぞれが思い思いの時間を過ごす。

・就寝時間は特に決めてはいない。お互い眠たくなったら寝室に行き、寝てしまうというスタイル。もちろん目覚まし時計は不要だ。「明日は何しよっかな~」などと考えつつ、ゆるゆると『今』を楽しむ生活。

『そんな生活が早くしてみたいと、最近は特に強く思う』

以上、毎日毎日仕事に行っている普通のサラリーマンの願望というか夢物語の紹介でした。

いつになったらこの『労働』というカルマから解放されるのか・・・。

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