使ったお金は回り回って自分のところに返ってくるという幻想
いつまで経っても使ったお金が、自分のところに返ってくる気配がないと感じている私です。
『金は天下の回り物』という言葉がある。その意味するところは『貧富は固定しないということ。 金がない者に対し、今貧しいからといって悲観するな、まじめに働いていればいつか自分のところにも回ってくるだろうという励ましの意味を込めて使う。 「金は天下の回り持ち」「金は世界の回り物」「金は世界の回り持ち」ともいう。』
ということらしいですが、いやいや、全くの幻想だと思いますね。最近のワーキングプアや貧困層の問題を見ている限り、貧富が思いっきり固定されてるじゃないですか。
必死に頑張っていればいつか自分のところにも富が回ってくるなんて考え方自体、ファンタジー(空想・幻想・夢物語)のようなものです。
現実社会はそんな甘いモノじゃないと皆が気付いているにも関わらず、消費を喚起すれば経済が回り、貧困層を救えると本気で思っているのでしょうか。
富も貧困も連鎖する現実
富める者は一流の教育を受け、一流の大学に進学し、一流の企業もしくは政治家になる。この脈々と受け継がれる富の連鎖を知っている一般庶民にとっては、『金は天下の回り物』というより、『金は富者の周りを回る物』という皮肉のひとつも言いたくなる。
一方の貧困も連鎖し、受けたい教育を受けることができず、大学進学もままならず、就きたい職業にも就けないばかりか、安定した正社員の仕事にも就けずに派遣やパート労働しか働き口がない状態に。
もちろんその子供も経済的な理由による連鎖は続き、真面目に働いていても富が回ってくることはありません。これが今の日本、いや全世界の現実。富める者はますます富み、貧しくなる者はますます貧しくなる、そんな世界になっていると感じています。
誰も助けてはくれないこの世界
そうなってしまっても誰も助けてはくれないのがこの世界。「金は天下の回り物だと言っていたじゃないか」と叫んでも、誰も助けてなどくれません。
国も一部の上級国民の懐を肥やすことに腐心するばかりで、庶民の窮状を救ってくれるつもりはないみたいです。それを証拠に賃金が上がらない現状においても、年々新しい税金搾取の方法を生み出し、実行しています。
社会保障が足りないという錦の御旗(にしきのみはた)を掲げ、何も知らない国民から税金を搾取し、無駄遣いの限りを尽くしています。新型コロナウイルスの復興策として行われているGoToキャンペーンも、元を正せば国民の税金。
旅行代や飲食代が還付されると喜んでいるけど、『実は自分のお金だった』という笑えないオチ。なので、「消費をしてこの国の窮状を救いましょう」という、政府の掛け声に素直に反応している人々を悲しい気持ちで見ている自分がいます。
将来的には『新型コロナウイルス復興税』なるものが徴収されるようになるかもしれないと感じつつ、抵抗することなく徴収されてしまうのだと無力感を感じることもある。
それでも少しは自分のお金が返ってくるのであれば、消費をして返してもらった方がお得なのではと思いつつも、今日も淡々と節約生活をする私でした。