『これからの人生』 vs 『残りの人生』という考え方

これから自分の人生はどうなっちゃうんだろうと日々思いつつ、何もできずに毎日が過ぎていっているような気がして訳もなく焦っている私です。

これからの人生という考え方

『これからの人生』という言葉を聞いた時に受ける印象は、「若くて今から何でもできるし、何にでもなれる輝かしい未来」という感覚で、得てして前向きな考え方(思考)になっていると思う。

確かに若い時の私は将来の漠然とした不安などは微塵も感じず、ただ明日の仕事が早く終わり、週末が訪れて趣味の釣りやジェットスキー、デートの予定などにしか関心のない毎日でした。

当たり前に明日という日が来ることを信じ、というか『信じている』という概念すらなく、本当に息をするように翌日が来ることを当然のように受け入れ(受け流し)ていたと思う。

そう考えると若いということは恐れも知らず、恥も知らず、将来に対する憂いも知らない、実にしあわせな時期だったのではないかと回顧するばかり。

残りの人生という考え方

ところが人生50年も生きているうち、平均寿命の半分を過ぎてしまったということにあの頃の若者だった私はハタと気付く。「もう人生の半分を生きてしまった。今まで何ができたのだろう。もっといろいろなことができたんじゃないのか?」自問自答が始まる。

・今までの人生の時間は有意義だったのか?
・何かやり残したことはないか?
・仕事をやり過ぎたのではないか?
・他人の評価や視線を恐れて自分のしたいことができなかったのではないか?
・無駄な時間を過ごしてしまったのではないか?

等々の後悔というか疑念のようなものが次々と頭の中に湧き上がってくる。それでも50年という決して短くもない人生を、これまでいろいろとありながらも生きてこられたことに、感謝するべきなのかもしれません。

『残りの人生=これからの人生』という前向きな考え方

『残りの人生』という考え方には少し寂しさというか哀愁が漂うものの、今までの経験を生かし、『残りの人生=これからの人生』のように、輝ける希望に満ちた時間にできるよう、できる範囲でなるべく楽しく過ごしていこうと思うのです。

『これからの人生』を楽しんだ私が、『残りの人生』『これからの人生』のように楽しむことができれば、それはそれで価値のある生き方ではないかと自分自身に言い聞かせるのも悪くないでしょう。

やはり仕事はそこそこにこなしつつ、自分の時間が欲しいと切に思いながら、今日も『残りの人生』の時間を仕事に捧げる私が通ります。

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